「聴く」って簡単じゃない?
父は、よく私にこぼす。
「母ぁさんが大変なんだよ」って。
ますます物忘れがひどくなって、午前中は機嫌がいい事が、午後になると機嫌が悪くなるのだと。
私が実家に帰る時は、駅まで父が車で迎えに来てくれる。
そして、車中で、
「今日は、お前が来るからって母ぁさんに言ったんだよ。そしたら隣の家の幼馴染が来るんだと思い込んで、あれは頭が悪いだの何だのと言って機嫌が悪い」と、言う。
そっかぁ、今日のお母さんは機嫌が悪いのか。
そう思って、実家に帰り、母に会う。
「お母さん、ただいま」にっこり笑う。
その途端、母はにっこり笑い返してくれる。
「あら、あんたがいるとは思わなかったわ」と言う。
この時の母は、私を誰と思っているのかはわからない。
でも、間違いなく機嫌は悪く無い。
私を見て、髪型を褒めて、それについてたくさんお話しをしてくれる。
母は、自分が思った事、考えた事、感じた事を話し始める。
これがいつものパターン。
母が褒めてくれた事、感じた事をそのまま受け止めて、
それについて感謝の言葉を返す。そして、私の気持ちも。
「そう?この髪型いいかしら?ありがとう。私も気に入っているの」
この時の母は、私を娘と思っているのか、よく家に遊びに来てくれる誰かと思っているのかは、わからない。
それでいいのだと、私は思う。
ニコニコと屈託なく笑いながら居る母を観るのは、私も楽しい。
この母の話しを聴くのは、楽しいのだ。
毎回、会う度に同じ話しを繰り返し聴かされる。
じっくりと耳を澄ましてしっかり聴いていると、ささやかな違いに気がつく。
この前と比べて、少し、細部の話しが曖昧になってきたな。
話している時代設定が、少し古くなってきたな。
あんなに繰り返し繰り返し話していた話しを、今日は一度も話さなかったな。
こうやって、ささやかな違いを聴き取る事。
これが、母の状態を知る事に役立っていると、私は思う。
その日の体調にもよるだろうけれども、回数を重ねれば、傾向がわかってくる。
さらに、しっかり聴いていると、母が大切にしている思いや信念も聴こえてきて、これは絶対に犯してはならないポイントだという事もわかるのだ。
父は、時々、このポイントに踏み込んでしまう。
なぜなら、父は間違った事、自分のわかっている事実と違う事を母が言い出した時、悲しい表情をして訂正したり、諭したりしてしまうのだ。家族として、以前の健全だった母を知っている父としては、いたたまれないのだろうか。
「聴く」というのは、ただしっかり聴く事。
その言葉の向こうや言外に込められた思い、気配、感情に耳をすます事。
ただそこにある話し手の存在をまるっと受け取る事だと、私は思っています。
時として、人は「話しを聴いている時」自分との意見や考えとの違いと比較して、
それを言いたくなってしまうのです。
「僕の考えは」「それは事実と違う」とか、
「自分にも似たような経験があるよ」とか。
普段の友達や仕事仲間との会話は良いのです。
でもね、この認知症という状態の人と接している時は、それが通じない。
このあたりの話しは、また次回に。
今日は、ここまで。