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コーチングで整える「暮らし」と「あなた」と「しあわせ体質」。 「やりたい」「なりたい」がトントン進む。トントン整う。

「聴く」姿勢が、鏡のように自分に返ってくる!

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認知症の母の介護を一番看ているのは、父だ。

 

だから、父が一番心労が溜まるのだ。父自身の息抜きもままならないから余計だ。ちょっと、父が強く当たっただけで、母は怒って、プイッと玄関から外へ出て行ってしまう。その度、母を捜しに行かなくてはならない。

 

これの繰り返し。

 

父が、母をまるっと受け入れられれば、もう少し楽になるのでは?と思う。


父の最近の口癖は、「散歩に行くと、知らない人とすぐ話し込んじゃうんだよ。あれが困るんだよ」と。

 

私などは、「あら、いいじゃない。お母さんは、いろんな人とお話しするのが好きだし、お話しする事で刺激になるから、なおさらお母さんには良い事だと思うけど?」と返す。


父は、それが嫌なようだ。なぜなら、相手の都合にお構い無しに、話し込んでしまって、迷惑だろう。認知症の人の話しなんて聴きたく無いだろう。そんな母さんを観るのが、僕は心苦しい。という意味合いの事を言う。

 

父の話しの中には、母の思いに気持ちをはせる部分は、どこにも無いのだ。

 

そんな父と話しをしたら、母だって、機嫌が悪くなるんじゃ無いのか?


だって、父は自分の言い分だけ話しているからだ。これは、認知症だろうが、健康体の人であろうが関係なく、みんなムカッとくるのではないかしら?

 

心穏やかに、母の話しをしっかり聴くだけで、母はとっても楽しそうだ。


いきなり物を投げつけたり、フラッと家を出て行ってしまう事もない。だって、話しているのが楽しいのだから、他に気を取られる事も無いし、腹が立つ事もないからだ。

 

母の時間は、時として行ったり来たりする。

 

突然、結婚前の時間に移動する事があるのだ。母の生きている時間は、私たちの生きている時間と進み方が違うのだと思っている。だから、母の話す事は、母の中では全てが真実で、嘘が無い。ここを、私たちの時間軸で見て、事実と違う、真実では無いと主張しても仕方が無いのだ。なぜなら、私たちと母の生きている世界が、もう違うからだ。


ここのところを受け入れられないと、とっても苦しくなってしまう。

 

母の言う事をしっかり受け止めて、聴く。

それを、私たちの理屈で、否定も是正もしないで、受け入れる事。
穏やかに、母の前に居るだけで、母も穏やかに居てくれる。
こちらの心が波打てば、母も穏やかではいられなくなるのだ。

こちらの姿勢が、そのまま母の状態に映し出されるなぁと、このところ、思う様になったのです。

 

さて、この続きはまた次回に。
今日は、ここまで。